2024/11/30 00:41 |
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2012/01/04 14:59 |
しょんしょんママについて |
新年、明けましておめでとうございます。
今年は天変地異などなく、穏やかな年になることを心からお祈りします。
今年は天変地異などなく、穏やかな年になることを心からお祈りします。
さて、新年最初の記事ですが、今更ながら自己紹介というか、私が自閉症治療を始めた経緯などについて書かせてさせてもらおうと思います。このブログは日本で自閉症児を育てている知り合いのママさん達に向けて始めましたが、今では私の知らない方々もちょくちょく覗いてくださっているようです。そういう方々は、自閉症治療についてごちゃごちゃと長文を書いている私を「一体何者???」と思っていらっしゃるのではないでしょうか。これまた長ったらしい文章になりそうですが、よろしかったらご参考までに読んでみてください。
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HN: Summer
1989年、音楽と英語の勉強のため、初めて渡米。1991年からロサンゼルスに本格的に移住し、二年制カレッジに入学。そこで出会ったのがPsychologyという学問!音楽という当初の目的を忘れ、科学的アプローチが中心のアメリカのPsychology(心理学)にどっぷりはまってしまいました。
ASとAAの学位取得後、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に心理学専攻で入学。Abnormal Psychologyの授業で初めて自閉症について詳しく学び、とても興味を持ちました。その頃はまだ自閉症が"スペクトラム"であるという概念がはっきりとした形では示されてなかったのですが、学ぶうちに「"ここからここまでが異常、ここからが正常"といった定義は自閉症には当てはまらない。人はみなある程度自閉症的な行動や考え方を持って生きている」ということに気付き、人をより深く理解するためにも自閉症の勉強をもっとしたくなりました。そしてABA療法のパイオニアであるDr. Ivar Lovaas本人の講義を取り始め、自閉症に治療法があることを知って、とても驚きました。それまでは「自閉症の原因は未だに分かっていない。治療法はない」というのが当たり前だと思っていました。Dr. Lovaasといえばその頃すでに近寄りがたいほどの超有名教授でしたが、実際の彼はまるでコメディアン。強いノルウェー訛りの英語で、ジョークを言ったり歌ったり。彼が壇上に立つときは、いつも講堂が笑いの渦。「この人、本当にかの有名なDr. Lovaas?」と疑いたくなるほどでした。しかし1970年代・1980年代に行った自身の研究ビデオの中に出てくる彼は気難しいほど真剣に自閉症児を相手に治療に取り組んでいて、それには圧倒されっぱなし。近年はDr. Lovaasの研究結果に疑問を投げかけている研究者が多くなってきましたが、あの頃の私は彼のABA行動療法の研究にただただ感激し、一時はABAセラピストの道を進むことも真剣に考えました。でも「私の日本語訛り英語で週40時間のセラピーを行うのは無理・・・」と、結局諦めてしまいました。
その後、「メラビアンの法則」で有名なDr. Albert Mehrabianの下でPersonality Scale(性格判断基準テスト)を作る勉強をしたのですが、そのときにも「人の行動や考え方というのは本当に様々であり、何が正常で何が異常と決められるものではない。多々ある性質をそれぞれスペクトラム上に置き、それらの度合いの違いによって、人の個性が出来る」といったことを学びました。Dr. Mehrabianはエンジニアリング的な要素の強い研究者で、人の行動や感情、コミュニケーションを細かく分析するのを得意とされてましたが、自閉症についても何度かレクチャーで話されました。自閉症は人間の性質の一部にすぎないとした彼の考え方に、とても納得したのを今も覚えています。独自性と頑固さが目立つ教授でしたが、彼からは本当にたくさんのことを学びました。それは今も私の考え方に大きく影響しています。
UCLA卒業後は、社会心理学教授のDr. Curtis Hardinの下でRA (Research Assistant)として大学に残り、博士課程に入ることを目指していました。しかし、だんだんと「私がやりたいのは、本当に心理学博士の学位を取って研究と授業を続けていくことだろうか?」と疑問を持ち始めるようになりました。その頃一緒に暮らしていたボーイフレンド(今の旦那)が博士課程で大変だったため、二人の生活を支えるためには私が本格的に働かなくてはならなくなり、結局RAは1年で止め、ある企業に就職し、私の人生は心理学とは離れた方向へ進んでいきました。
自閉症と再度出会ったのは、上の子が3歳になって幼稚園に入った2005年。クラスメイトにベンジャミンという自閉症の子がいました。ベンジャミンのお母さんは台湾人、お父さんは日系3世で、同じアジア人同士ということで親子揃って仲良くなりました。3歳の頃のベンジャミンは自閉症的な症状が多く、お友達と仲良く遊ぶのは難しかったし、癇癪も多かったのですが、それでも上の子は見た目が自分と良く似たベンジャミンに親近感を持っていました。ベンジャミンのお母さんから「自閉症治療をやっている」と聞いたときはすっかりDr. LovaasのABA療法のことだと思い込んでいたのですが、彼女の口から出てくるのは私が聞いたことのない話ばかり。GFCFダイエットやら、ビタミン注射やら、水銀の除去やら、何を話しているのか初めはチンプンカンプンで、不信感すら持ったほどでした。それが「バイオメディカル治療」だったわけですが、実際にベンジャミンが2年間で遂げた変貌振りを身近で見て、その新しい治療法の凄さには本当に驚かされました。3歳のときにほとんど話さず叫び声をあげてばかりだったベンジャミンが、5歳にはおとなしくてにこやかな子に変わり、小学生になってからは診断をなくし、ギフテッドプログラムに入って2学年ほど先の勉強をするようになりました。(注:ベンジャミンに効果があったのはバイオメディカル治療だけではありません。実際はABA療法やスピーチセラピー、ミュージックセラピーなど、様々な治療法を掛け合わせた結果だと思います。)
このブログの主人公・我が家の次男のしょんしょんが生まれたのは2007年5月。頭を床に何度も打ち付ける自傷行為が始まったのが1歳~1歳半頃の2008年。言葉は全く出てこないし、癇癪もスゴイ。何かがおかしい、上の子とは全然違う、と感じてはいたのですが、小児科医に相談しても「バイリンガルの環境に育っているから言葉が遅れているのでしょう。頭を打ち付けるのは、そういう子に多い症状です」などと言われました。1歳半の時にやった自閉症テストも難なくパスしていたので(簡単な質問表に答えただけでしたが)、私自身もしょんしょんと自閉症を結びつけることはありませんでした。しかし2歳3ヶ月を過ぎた頃、親の勘とでもいうか、「絶対何かとんでもないことになっている!」と無性に心配になり始め、いてもたってもいられなくなりました。耳鼻科での聴覚検査から始まり、全身麻酔での脳波の検査、州のサポート機関による言語テスト、スピーチセラピーなどを経て、結局2歳8ヶ月の時に発達心理学者によって広汎性発達障害(PDD-nos)との診断が出されました。しょんしょんが自閉症ではなく、広汎性発達障害と診断された理由は、コミュニケーションと行動には問題が見られたものの、認知度(Cognition)に関しては大きな遅れが見られなかったことにあるようです(当時の認知のDQ=85)。
診断が出たときに私がすごくショックを受けたかと言うと、実はそうでもありません。上記のように、自閉症には治療法があるとすでに知っていたからです。自閉症よりも、聴覚に問題があることのほうをもっと恐れていました。2歳5ヶ月でやった最初の聴覚検査では左耳が聞こえていないと診断されていました。その後の脳波検査では両耳とも聞こえているとの結果が出ましたが、一向にしゃべらないことには変わりがなかったので、いつまでも心配でした。ですから、しょんしょんの発達の遅れが聴覚障害ではなく自閉症スペクトラムのためであると判明した時は、母の私としては「やるべきことがやっとはっきりした。あとは行動あるのみ!」と、ちょっと安堵したような気持ちになりました。そして、すぐにベンジャミンのママに連絡を取り、最新の治療法(バイオメディカルと新しいABA療法)について改めて教えてもらい、読むべきだと言われた文献は全てゲットしました。アリゾナで受けられるサポート組織・グループにもくまなく連絡を取り、しょんしょんの治療を中心とした我が家の新しい生活が始まりました。
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2012年1月。しょんしょんが治療を始めてから2年が経ちました。言葉の遅れ以外は自閉症的な症状がほぼなくなったしょんしょん。ベンジャミンの様に診断をなくすまでになるのか?それはまだ誰にもわかりません。でもバイオメディカルやABAを通して、しょんしょんが快方へ向かったことは間違いないと思います。もし診断がおりたときに何の知識もなく、何の行動も起こしていなかったら・・・。きっと今のような笑顔のしょんしょんと私はいなかったでしょう。途中で諦めたとはいえ、私が過去に心理学と自閉症に興味を持って勉強したことは一切無駄ではなかったと、今心から思います。
まだまだ未熟なブログですが、私なりに学んだことをなるべくたくさん公開していこうと思っていますので、今後ともどうぞよろしくお願いしますm(__)m
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